『思い出のファミコン』が本になりました
 

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スウィートホーム スウィートホーム
カプコン
1989.12.15発売
1989 ©イーティー 1989 ©CAPCOM

怖さのあまりクリアできないまま断念

 すごく思い出深いゲームです。これのおかげで映画版も知って、ゲームと見比べる楽しみもありました。映画ひとつからよくこれだけ様々なものが詰まったゲームができたものだと感心します。しかもファミコンで。

 発売から数年後にプレーしましたが、当時子どもだったので怖くて怖くて、とあるイベントである人物が死ぬシーン(このグラフィックがまた激こわ)を見て、もう無理だと断念してしまいました。でもすごく面白かったのもたしかで、いつか絶対クリアしてみたいと思ったものです。

 結局ファミコンも卒業してしまい、クリア達成できないままプレー動画を簡単に見られる今になってしまいましたが……。めっちゃ怖くてめっちゃ面白い、今思うと奇跡のようなファミコンソフトだと思います。リメイク希望。

寄稿:reon 女 1981年生 北海道育ち


消してしまったセーブ場面まで驚異の挽回

 このゲームには、とても苦い思い出があります。ファミコン初期の「ドラクエ」や「ファイナルファンタジー」くらいしか、最後まで遊び終えたことが無く、その後あまりゲームに関心を持たなかった私ですが、ある日、なんとなく気まぐれに、姉が熱心に進めていた、このゲームのセーブしてある場面を、ちょっぴり試してみようとして遊び始めました。

 ところが数分後には、BGMや効果音、雰囲気のあまりの怖さにビビり、思わずリセットボタンを押してしまいました。終盤まできていた姉のメモリーは消去され、どうあがいてもゲーム開始の場面しか映らない……。姉の激怒する姿を想像して、頭の中が真っ白になりましたが、そんなこと言っていられません。とにかく姉の怒りを最小限に抑えなければ……と、ゲーム開始から改めて始め、飲まず食わず数時間、姉が帰宅するまでとにかくゲームを先に進めました。

 部屋に入るなり、いつもはゲームなどしない私が、必死になっている様子を訝しげに思った姉は、案の定、何が起きたのか知るや怒りをぶつけてきたので、とにかく姉のセーブ場面まで私が頑張って戻すから……と謝り倒して、必死にその後もゲームをし続け、驚異の集中力を発揮して、次の日には、見覚えのある終盤の場面まで戻しました。

 その早さに姉も驚き、最後には笑って許してくれましたが、私もあまりの焦燥感からこのゲーム内容の怖さなど忘れ、ただ必死に進めたゲームに面白さを感じることができました。

 今でも、こゲームのことは、姉との笑い話になっています。懐かしいこのゲーム、ソフトは残っているもののファミコン本体が無いので、残念ですが遊ぶことはできませんが、今でもあの怖いサウンドが頭に残っています。

寄稿:ゲーム能力ゼロ 女 千葉育ち


衝撃を受け封印

 このゲームを初めてプレーしたのは、確か小学校2年生ぐらいの時だと思う。父親が中古ショップで大量買いした中の一本であった。そのおどろおどろしいパッケージの写真から嫌な予感がしていたが、見事的中。私の苦手なホラー系のゲームだった。元ネタの映画の事などつゆ知らない私は嫌な予感をはらませつつも、ゲームを始めた。そしてプレー直後からビビリまくり!

 いきなりドアが閉まるシーンにビビッた。間宮夫人の不気味なドット絵には更にビビッた。始終流れる不気味なBGMを聞くのに耐えられず、直ぐに音量をゼロにした。そして、助けを求める仲間を放置してたらいきなり胴体真っ二つになって死んだ時は、ファミコン歴数年の中で最も衝撃を受けた。そして私は直ぐにこのゲームを封印してしまった。

 あれから十数年の歳月が流れ、十数年ぶりに封印を解いてプレーしてみたが、非常に面白い。死ぬと二度と生き返らない仲間、キャラ固有のアイテムをどの場面で使うか、パーティーの編成のタイミング、屋敷内に仕掛けられた様々なギミック、細部まで丁寧に描かれた屋敷、そして当時は嫌で仕方無かったが、今聞くととてもゲームの雰囲気と合っていて、プレイヤーをドキドキさせるBGM。

 高校生の頃「バイオ」にはまって以来、サバイバルホラー好きになった今、このゲームは正にサバイバルホラーの原型とも言うべき作品として自分の中でクソゲーから傑作へと位置づけられた。この作品は大人になった今だからこそ楽しめる作品ですね。自分と同じように子どもの頃プレーして直ぐ辞めた人、大人になった今もう一度プレーしてみてはいかがでしょうか? 是非、オススメします。

(余談ですが、当時親父が喜々としてこのゲームをプレイしていました。夜、真っ暗な自室で…)

寄稿:朧 男 1980年生 京都育ち 会社員


怖くてウォークマンを聴きながらプレー

 私がこのゲームを知ったのは、小学校低学年あたりでした。姉がプレーしているのを見て、最初は映像とか音楽とか本当に怖くて、ソフトすらもまともに見れませんでした。

 自分でプレーしたのは、高校生になってからです。その時でも怖かったけど、同時にやりがいを感じました。やっぱり音楽は怖かったので、ウォークマンを付けて歌を聴きながらプレーしていました。

 死んだら二度と生き返らない……。そんなシステムも気に入りました。人数によってエンディングが変わるというのも、当時ではあまりなかったと思うので、良かったです。

 もし、ファミコンで何かをプレーしたいなという人は、ぜひ『スウィートホーム』をプレーすることをおすすめします。

寄稿:282れんげー 女 1986年生 広島育ち 大学生


当時、100円ガレージのコーナーに

 当時小5だった自分は、友だちと映画を観にいって、人が溶ける姿を見てドン引きしてしまった。

 この手のゲームはたいてい面白くないと思っていたので、買うこともなく日々をすごしていた。案の定、このソフトが出て半年後、越谷のバイパス沿いにあるおもちゃ屋では、100円ガレージのコーナーに『殺意の階層』と一緒になって投げ込まれていたし、地元のいかがわしいおもちゃ屋さんでは、抱き合わせ販売用のソフトの1つになっていた。

 最近、秋葉原に行ったときに買い直してやってみたが、すごく面白い。そして難しい。早々と2人死んで3人でクリアしたが、本当に大変だった。しかし、インターネットがあるからこそ色々な情報にありつけるが、こんな文明の利器がなければ、このゲームも自分の中ではクソゲー扱いだったわけである。

寄稿:なみへい 男 1977年生 埼玉育ち


今やっても素晴らしい

 カプコンのBGMは秀逸だが、『スゥイートホーム』は、「MADARA」、「ロックマン2」に匹敵し、その名曲たちはおどろおどろした世界観を見事に表現している。

 戦闘シーンの心拍数を高める音楽効果、きちんと洋館の背景も書き加えてあるところや、ベタな金持ちの家に必ず置いてある意味のよくわからん鎧が突然動きだしたり。またそれぞれのキャラクターが固有のアイテムを持ち、必要に応じて仲間を変えなければいけなかったり、部屋にある絵にフラッシュを当てるとメッセージが読めたり、と斬新すぎるシステムが盛りだくさんで、開発者のクオリティの高さも読み取ることができる。

 一番凄いのは、キャラが一度死ぬと二度とよみがえることがない!という条件を逆手にとり、生き残った人数によってエンディングが違うということ。現在のフリーシナリオの、ある種原点ともいえる。今やっても素晴らしい。再評価に値する隠れ名作であると僕は思う。

寄稿:宮地 悠樹 男 1982年生 岡山育ち フォトグラファー


ひとりで風呂に入るのをためらうほど

 僕が大学生の頃なので、世はスーパーファミコンの時だったと思います。兄からもらったフツーファミコンで、安くなったソフトを買いまくって遊んでいました。

 偶然、何の前知識もなしに『スウィートホーム』を、確か300円くらいで買いました。伊丹十三の映画から来ていることは知っていて「こういうのって、ゲームは絶対面白くないんだよな」とたかを括ってました。しかし、やってみると、怖すぎ。大学生の僕でもひとりで風呂に入るのをためらうほどで、例えば人形が何の前フリもなしに、いきなり白目を剥いたりするので「おいおい、やめてやー」と部屋で独り言でも発してないと、心が落ち着きませんでした。

 後にこれが名作であったことをいろんな情報源で知りましたが、未だに友人に一番オススメしたい名作ソフトとして、僕の中で君臨しています。あれはそのままの形で復刻して欲しいです。

寄稿:だーおー 男 1973年生 大阪育ち 会社員


ファミコン時代のゲームとは思えない名作

 当時、小学生だった私の周りで、このゲームソフトはドラクエと対をなすほど、ハヤっていました。ゲームのストーリーも、何人生き残れるのかという競いをかけた、当時としては斬新な設定でしたし、個人的には何よりもゲーム中に流れる音楽が本当に好きでした。

 今でも戦闘シーンとフレスコ画を調べるシーンの曲を聴くと鳥肌が立ちます。また、扉の開く音や鎧の歩く音などのSEもよくできていました。ゲーム自体は恐怖というカテゴリーで進んでいくのに、その根本にはひとつの家族の哀しみや愚かさがはらまれており、とてもファミコン時代のゲームとは思えない名作であると同時に、ファミコンであったからこその恐怖演出を見事にやってのけてくれたゲームだと思います。

寄稿:サクラ 女 1981年生 東京育ち シンガーソングライター


友人のプレーを眺めているだけでも怖かった

 ゲームで恐怖や勇気を覚えるようなことはこれが初めてだった。当時のRPGは、宿屋みたいな回復は無限であり、どうすることもできない終わり方というのがなかった気がする。

 そして、この音楽。ファミコンのチープな音楽だからこその恐怖があったね。扉を開ける、という別の空間へ一気に放たれる恐怖。そこが広い空間で化け物がウヨウヨしてるのか、それともアイテムだけがあるのか、化け物がすぐ近くに居て、ヤヴァイ逃げなきゃ、と速攻でまた元の部屋に戻る焦り、でも結局行かなきゃいけないとわかりながら立ち向かう勇気、

 この開発者が後の『バイオハザード』に関わってるのには納得した。限りがあり、それをどう有効的に活用するか、という概念は、恐怖にも繋がり、ゲームプレーにもさらに頭を使うわけで。

 私がファミコンのおすすめをきかれたら、ドラクエと等しくこれ、『スウィートホーム』をすすめるだろう。

寄稿:変態紳士 男 1981年生 東京育ち 会社員


友人のプレーを眺めているだけでも怖かった

 ただひたすら怖かった、と記憶しています。初プレーは友人がやっているのを後ろで眺めていただけだったのですが、それでも友人宅からの帰り道、足が震えてうまく歩けないくらいでした(ヘタレだったもので;)。

 当時僕はかなりのゲーム好きで、話題になったゲームはほとんどプレーしていたのですが、友人宅でのトラウマ(?)がたたって購入に踏み切れず、本屋で攻略本を読破し、クリアした気分になって満足していました。もちろん帰り道は足ガクガクでしたが(笑)。

 大人になった今ならと、最近中古屋で購入してみたのですが、パッケージからして怖いのでいまだプレーできず・・・。僕には無理のようです。

寄稿:ひろスィ〜 男 1981年生 埼玉育ち 大学生


飛び抜けた厳しさと露骨な描写、ホラーゲームの原点

 ファミコンでは珍しい本格派ホラーRPGとして、抜群の完成度を誇る名作。テレビの取材班5人組が、朽ち果てた画家の館を撮影しにやって来たのだが、その館には今は亡き間宮夫人の怨念が渦巻いていた。5人は屋敷内に閉じこめられてしまい、悪霊の数々に襲われ・・・といった内容だったと思う。

 多くの斬新な新システムの中でも特に、一度死んだキャラは二度と生き返らず、体力は数が限られた薬瓶でしか回復することができないという設定は、当時のRPGの中では飛び抜けて厳しかった。貴重な薬瓶を浪費しないように、使いどころに頭を悩ませたものです。

 ドアを開けるたびに響く蝶番の不気味な音に恐怖し、部屋の中を飛び回る人魂を果敢にかいくぐり、徘徊する黄泉の怪物を「心の力」でなぎ倒す。すべては諸悪の権化である「間宮のババァ」を倒すため。でもこれがなかなか難しいのよね。

 ホラー&スプラッタが売りのひとつだっただけに、首が吹っ飛ぶとか、胴体がまっぷたつとか、かなり露骨な描写が多かった。なもんだから妹は怖がってはなから画面を見ようともしなかったし、弟も重低音の音楽を嫌ってプレーしたがらない。子供部屋に自分一人だけで寂しくプレーするホラーゲームは、恐怖感も5割増しといったところでしょうか。

 後に「バイオハザード」シリーズの元になったとも聞きましたが、さもあらん。「ホラーゲームの原点ここにあり」恐怖というスリルを楽しませてくれた、思い出深い一本です。

寄稿:yuusuke 男 1978年生 東京育ち 地方公務員


『バイオハザード』の原型ともいわれる名作ソフト

 元々は、1988年に公開された映画が原作です。当時、小学生だった私は映画をみてびびり、ゲームをやってキャラクターの恐ろしさにこわごわしながらプレーした記憶があります。

 今みても薄気味悪いです。結構あの時代、映画とかが原作で内容はまるで別物のゲームが多い中、原作の押さえるところは押さえて、いい感じのアレンジですごくおもしろかったです。リバイバルして発売したら即購入しますね。

 ちなみに、インターネット等で調べてみると、「『バイオハザード』の原型ともいわれる名作ソフト」と評されていることをよく目にしますが、うなずける気がします。

寄稿:おんなす 男 1979年生 神奈川育ち 社会人

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