『思い出のファミコン』が本になりました
 

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東海道五十三次 東海道五十三次
サン電子
1986.7.3発売
©1986 SUNSOFT

胸に刺さった「がんばってね ももこ」

 このゲームは、オレが1歳のときに発売されたから、発売当時はできるわけもありません! 初めてやったのは小学校2年生の時です。

 全然記憶にないのですが、なぜかファミコンとこのソフトやマリオ系のソフトが家にありました。そのころはもうスーファミが出てたころなんで、いとこからもらったと後々わかりました。

 本題ですが、やった瞬間、小学2年に上がる前に転校してしまった初恋の人「ももこちゃん」を思い出しました! 会いたい人の名前と一緒なんて……。主人公を自分に照らし合わせてやってましたが、結局「ももこちゃん」には会えず、挫折(涙)。ミスした時の、「がんばってね ももこ」の文字がいまだに胸に突き刺さってます。今なにしてるかなぁ?

寄稿:Ryu41 男 1985年生 静岡育ち 介護福祉士


1コンと2コンの機能に差があった

 さらわれたいいなずけを助けるために花火職人が旅立つ。武器はかんしゃく玉。そんなアクションゲームです。

 うちは兄弟がいたので、ゲームを買う基準は、2人プレーができること。なのですが、このゲームは1コンと2コンに差がありました。2コンはかんしゃく玉をAボタン押しっぱなしで連射できますが、1コンはできないのです。だから2コンの取り合いに……はなりませんでした。

 というのも、当時兄は1コンマニアで、決して1コンを手放そうとはしなかったから。私の汗がつくのが気に入らないらしいです。しかし、自分がうまくいかないとコントローラーのせいに。私は1コンを試したくて仕方がありません。そこでいつも喧嘩に。そんな思い出です。

 ゲームの中身としては、下駄を履くと雲に乗れたり、ごろつきや侍に固有名詞がついているのに何回倒しても復活するところに謎を感じていました。江戸時代なのにどこでもドアみたいにワープする扉も……。そんなゲームです。

寄稿:カープファン 男 1976年生 岡山育ち 工場勤務


トリッキーな動きをする忍者や虚無僧に手こずる

 忍者がー、虚無僧がー! 倒せな〜い!!

 このゲーム、一見すると題名からして、ノベル系の方だとお思いでしょうが、なんとアクションゲームなんです。しかも、武器はかんしゃく玉です。細かい設定は忘れましたが、東海道の宿場を通って最後は江戸がラストだったと思います。

 これがなかなか難しいのでした。設置したかんしゃく玉はすぐには爆発しませんし、途中の忍者やら虚無僧やらがトリッキーな動きをしていて激強だった事を覚えています。ただ、この頃のゲームはおそろしいほど内容が自由だったと思います。

 これを最近の技術でリメークして、バリバリのアクションアドベンチャーにしたら結構売れたりして(笑)。

寄稿:りゅーとパパ 男 1976年生 千葉育ち ホテルマン


コントローラーも一緒にジャンプしてた姉貴

 歳の離れた姉貴と一緒にプレーした思い出深いソフトである。ゲーム内容も単純明快で、敵をかんしゃく玉で倒しながら、ひたすらゴールを目指すもの。

 あまりゲームに興味がなかった姉貴が唯一やり込んだゲームだった。当時、自分の部屋にはテレビがなかったので、ファミコン本体は姉貴の部屋にあり、姉貴がいる時か、ちゃんと断っておかないとゲームができなかった。だが、「東海道やろ〜よ!」と姉貴自ら言って来たり、俺がいない時にも、自らファミコンの電源を入れるほどハマッっていた。

 ・・・でも、姉貴はゲームをする時にボタンに力を入れてしまう癖があり、ジャンプする時などにコントローラーも一緒にジャンプ!!(友達とかに一人はいませんでした? 特に女性で)。ファミコン本体がひっくり返ったりして、画面が止まってしまうなんてことが多々ありました。当時のゲームは、コントローラーのコードが短かったですよね。

 最近、またネットオークションでこのソフトを手に入れたので、機会があれば姉貴と一緒にプレーしたいと思う。また本体ひっくり返ったりして・・・。

寄稿:クリボー 男 1976年生 宮城育ち スポーツインストラクター

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