『思い出のファミコン』が本になりました
 

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アーバンチャンピオン アーバンチャンピオン
任天堂
1984.11.14発売
©1984 Nintendo

ドリフ的な要素もあってみんなで楽しめたゲーム

 あれは小学3年の頃。小学生のお小遣いではそう何本もソフトを買えず、友人とかぶらないようにソフトを購入し、平和協定のもと、貸し借りをしていた頃。このソフトはある友人から借りたもの。

 ファミコンで初めてのVS機能とうたっていたのは『六三四の剣』であったが、実際のところはバリバリの対マンであるこのゲームが、ファミコン初の対戦型ゲームと言っていいだろう。

 とはいえ昔のゲームは『マリオブラザーズ』にせよ、『アイスクライマー』にせよ、『バルーンファイト』にせよ、2P使用ゲームでは自由度があったため、勝手に対戦型にしてしまうという、子どもならではの創作工夫があったように思います。

 このゲーム、正直ストレートとボディだけの攻撃方法であり、ガードも顔とボディのみという、人間本来の肉体を駆使したシンプルなゲームでした。アパートの端から端までがリングで、端まで追い込んだら1本。そして3本勝負で先に2敗した場合、アパートの端にはマンホールの蓋が外してあり、真っ逆さまに落ちてWIN!というシンプルかつナンセンスなゲーム。

 しかも、アパートの住人がやかましいからか、たまに植木鉢を上から落としてくるんです。それにヒットするとピヨってしまい(ストII用語?)、そこでラッシュを掛けて追い込めるというドリフ的な要素もあって、物凄く楽しめたゲームです。

 ただ、コンピュータ対戦ではどうにも盛り上がらず、絶対に何人か集まってのファミコン大会!的なノリでないと楽しめないゲームでもあったのです。対コンピュータでは味気ないのです。熱くなれないのです。

 基本的にファミコンはひとりではなく、多人数で仲良く順番に楽しむものです。そこで団体行動や他人に対する思いやりも覚えたのではないかと、今では思えます。タニマチの如く、部屋を提供してくれる家や友人が必ずありましたし。そういった中で、人間としての機微を学んで言った気がします。学べない子は仲間はずれ的な扱いにもなりましたしね。

 最近のゲームは、グラフィックも綺麗だし、内容も充実してるけど、あの頃のゲームのほうが記憶に残ってますし、今でも楽しめると思います。

寄稿:たわわにみのった 男 1976年生 福井育ち 医療系職人 ホームページ


ヨーカドーで買ったあの日を鮮明に覚えている

 『ロードランナー』に続いて買ってもらったこのカセット。このカセットを買ってもらったシーンは今でも鮮明に覚えています。「新しく何かを買ってもらう」という、子供にとっては嬉しい&印象的なシーンは忘れられないんでしょうね。最近は何か欲しかったものを買っても、あとでこれをいつどこで買ったかなんかはほとんど覚えていません(汗。

 買ってもらったのは、場所はイトーヨーカドー、時間帯は夕方〜夜にかけて。誕生日プレゼントか何かで、親がファミコンのカセットを買ってくれるということで一生懸命ガラスケースの中を眺めていました。相当悩んだ挙句、箱の外見からこの『アーバンチャンピオン』を選んだと思います。当時は,その意味など知るよしもなく。

 で、このゲーム。非常にシンプルなつくりですが(頭か腹を殴る&強さは2段階)今から思うと妙に凝ってました。パトカーが通り過ぎるときの、あのとぼけた2人の顔、たまりません。上から植木鉢を落としてくる人、何者なんでしょう。家の前で喧嘩していることに怒っているんでしょうか? そんなアイデアを出した人がどんな人だったかのほうが気になります。

 記憶が定かじゃないのですが、勝ち進むとチャンピオンベルトかメダルみたいなのが画面上で増えていきませんでしたか? いつも途中で負けてしまうか、飽きてしまったので最後どうなるのか、未だに知らずにいます。気になるのでやってみようかな。

寄稿:あかいかわ 男 1977年生 神奈川育ち 公務員


ひとりでは遊ばないので購入したいと思わなかった

 当時小学生だった私にこのソフトは結構衝撃的でした。大人が殴り合いをし、パトカーを避け、上からは花瓶が降ってくる。攻撃パターンも単純なのに、結構面白い。実は友だちが持っていたので我が家では遊べなかったのですが、ひとりでは遊ばないので特に購入したいと思わなかったんですね。いま探してもなかなか見つからないです。最近の格闘対戦ゲームでは味わえないですよね。

寄稿:園田 広宣 男 1977年生 愛知育ち 会社員


このゲームだけは得意だったことで救われた

 当時、私はどのゲームをプレーしても友人たちのようにうまくいかず、やるたびに皆から馬鹿にされてました。しかし、なぜかこのゲームだけは得意で、彼らとの対戦成績もかなり良かったのを覚えています。とはいえこのゲーム、仲間内には人気が無く、唯一の活躍の場も徐々に失われていきました。

 そんな中、近くのパソコンショップで、このゲームを使ってのゲーム大会が行われることになったのですが、優勝商品はなんと好きなゲームソフト1本! コレは出るしかない!と思いましたが、商品が良いだけにたくさんの参加者がいて、中には高校生や大学生、大人もいる始末。大人げないよ・・・と思いつつ、だめもとで友人と参加しました。

 しかし!なんと奇跡的にも優勝してしまいました。いったい何がなにやら・・・。鼻息荒く、高価なパソコンソフトを頂きます。それ以来、馬鹿にされることはすっかり無くなりました。本当にありがとう、『アーバンチャンピオン』!

寄稿:もちらーめん 男 1973年生 東京育ち 会社員


殴りあいは画面の外へ

 ご存じの通り街中で殴りあいをするこのゲーム、内容はいたって単純です。僕らは負けたヤツがおやつをおごるというルールで対戦していました。最初は楽しく・・・。

 友だちの家でみんなして対戦中、インターホンがなったのでポーズボタンを押して友だちは玄関に行きました。となりのおばちゃんがブドウを持ってきてくれたのです。ところがその間に、対戦相手の友だちが勝手にポーズを解除して、もはや操る者がいない敵キャラをボコ殴りにしていました。

 戻ってきた友だちは大激怒! 「何してんねん!!」と叫ぶなりケリの連打です。対戦していた友だちもパンチで応戦が始まりました。こうなればもう修羅場と化し、部屋は荒れ放題。ふすまは破れ、ゴミ箱はひっくり返り、ブドウも宙を舞います。

 結局おばさんがくれたブドウは一粒も食べられることなく、タタミのシミとなりました。リアルな『アーバンチャンピオン』なんてやるもんではない・・・。

寄稿:ライデン 男 1974年生 大阪育ち 戦略担当兼作家


対戦格ゲーの元祖

 少年時代、いろんな対決ゲームをやった。そんな中でもよくやったのがこのゲームだった。

 ルールは簡単、大・小パンチとガード、上級者になるとスウェイ(後ろボタンを入れると一瞬体をそらす)ぐらいしかない。こうなると、騙しあいが鍵になる。

 そして、いくばくかの月日が流れ、いわゆる対戦格ゲーの全盛期をむかえた。多くの人は画期的だ!などと言っていた。が、ちょっと待ってくれ、対戦格ゲーは昔からあったよ。そう、『アーバンチャンピオン』がそうなんだよって、俺は言った。

 しかしその言葉は、誰の心にも響くことなく消えていった。そう、ゲームの名前とともに。そして、ゲーセンには、「はどぉーけん」の声が響く。

寄稿:Z.Z 男 1976年生 兵庫育ち 国家公務員


「アーバン」⇒「男同士が殴り合っている」

 【 ur・ban [都会の、都市の] 】私が最初に覚えた英単語が「I」でも「my」でも「me」でもなく、いきなり「アーバン」だったのはこのソフトのせいである。

 単純明快なシステムに隠されたバイオレンステイストは、『北斗の拳』直撃世代の私の心を鷲づかみにした。来る日も来る日も、名も無きライバルを無慈悲にマンホールに突き落とす毎日。パトカーが来ると「知らん振り」をするという演出も洒落がきいていてよかった。

 また出所は不明だが、「26面で、なんとライバルが2人になる」、というデマに翻弄されたこともよく覚えている。血眼になってプレーした挙句、何の変哲もない26面がスタートしたときの脱力感と共に・・・。

 今なお、高級マンションの建物名などで「アーバン」と聞くと、どうしても「男同士が殴り合っている」シーンをイメージしてしまう。そんなわけで、誰がどう言おうと私の中では【 ur・ban [都会で、都市で、殴りあうこと] 】なのである。

寄稿:糞芸大作戦 男 1977年生 京都育ち SE


アンテナ端子の接続にみんなが試行錯誤

 私が初めて買ったファミコンソフト、それが『アーバンチャンピオン』。当時、今のようなビデオ端子がなく、直接アンテナ端子に巻きつけるという、小学生には無茶な接続方法も今では懐かしく思える。思えば友だちの行く所行く所、ファミコンとアンテナ端子が独自の角度に設定されてた。雑誌を下に置いたり、テレビとタンスの間に挟んでみたり。画像がちらつくことは当たり前だった。

 でも、それでも皆、テレビにしがみついてやっていた。そう、この『アーバンチャンピオン』のせいだ。思えばじゃんけんのようなゲームシステムがみんなを虜にしたようだ。我先にと、コントローラを奪い合いながら、みんなでテレビを囲んでた。そこにはみんなで笑い合う姿があった。 あれから、約20年、皆ひげ面だ。

寄稿:奈々 女 1977年生 香川育ち

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